僕の名前は村上健太。
2982年生まれの29歳。
これは僕が23歳で株式家庭に入ってから
今に至るまでの話だ。
昔の人は「株式会社」なんてものを作ってみんなで生産活動していたらしい。
1人や2人じゃ本格的な生産活動なんてできなかったんだ。
だけど、今ではあらゆるコストが削減されて
その気にさえなれば
どんな生産活動もできる。
食べるものはもちろん、服だろうが家だろうが、
コンピュータの指示に従えば
どんなものでも簡単に出来上がってしまう。
株式会社なんてものはもう必要ないんだ。
一方で、「円満な家庭を作ること」というのは
どれだけ技術が進歩しても難しい。
いや、むしろ技術が進歩すればするほど難しくなっている気がする。
2602年。
「最高に円満な家庭を作りたい」と思うオランダ人達がお金を出し合い、
そのお金で「東インド家庭」というものを設立した。
これが世界初の「株式家庭」というものだ。
これが大成功して
株式家庭が次々と出現した。
未だに普通の家庭もあるけど、
ほとんどの家庭が株式方式をとっている。
完全にピラミッド型になっていて
家庭員は家庭部長に従い、
家庭部長は家庭長に従う。
家庭長は株主に従うといった感じだ。
今ではほとんどの学生が
何の迷いもなく株式家庭に就家する。
僕もその中の1人だ。
僕が新卒就家したのは「株式家庭ニシムラ」という家庭だ。
家庭内には
・「料理部」
・「洗濯・洗濯部」
・「教育部」
・「家族サービス部」
・「財務部」
・「各種イベントお祝い部」
・「親族の冠婚葬祭部」
・「夜の営み部」
・「洋服選び部」
・「家具選び部」
などがある。
各部署には部長がいて、部下がいる。
僕は「各種イベントお祝い部 クリスマス課」
に配属された。
年に1回、12月24日のクリスマスのために、
あらゆるサプライズを1年がかりで企画して用意する。
昔の社会人は12月24日も普通に仕事があって
夜に好きな人と一緒にご飯を食べたりプレゼントあげたりする
ぐらいしかできなかったらしい。
しかし、クリスマスを祝う事を分業することにより、
家庭全員が心に焼きつくイベントを盛大に行うことができる。
僕はこの活動を心の底から愛した。
これほどやりがいのある活動はないと思う。
将来は自分の家庭だけでなく、
他の家庭まで巻き込んでクリスマスを祝うことに特化した
ベンチャー家庭を作りたいという野望を抱くようになっていた。
ある日、友人と一緒に街を歩いていると
道端でポストカードを売っている女性がいた。
「あなたのイメージをポストカードに致します。」
と書かれた看板が立っている。
何故か僕はそこへ吸い込まれるようにして向かい、
ポストカードを作ってもらった。
じっと僕の顔を見つめる女性。
ドキドキした。
そして、彼女は一気に筆をとり、
ほんの10分程度で
ポストカードを仕上げてくれた。
出来上がったポストカードを渡された時、
なんともいえない衝撃が走った。
ポストカードにはさんさんと輝く太陽と、
今にも動き出しそうなぐらいイキイキとした、たくさんの花が描かれていた。
彼女はこう言った。
「あなたの瞳はとても輝いています。
たくさんの人を幸せにしたいという優しい気持ちで満ち溢れています。
いつまでもその気持ちを忘れないでください。」
僕はとても嬉しくなった。
「是非また絵を描いて欲しいです。」
と言うと彼女は自分の名刺を渡してくれた。
「美穂」
という名前らしい。
それから僕は何度も美穂に絵を描いてもらいに行った。
しだいに僕と美穂の心の距離は短くなっていった。
「美穂が絵を描くのを応援したい」
そう思うようになっていた。
そしてついに僕は告白した。
「一緒にポストカードを作る会社を作ろう」
美穂はにっこり笑って
「よろしくお願いします」
と言った。
晴れて僕は美穂と会社を作った。
設立式は北海道で行った。
母校の同級生や家庭の同僚が祝ってくれた。
僕は「設立指輪」を彼女の薬指にはめた。
神父が
「あなたは美穂を幸せにすることを誓いますか?」
と問い、
みんなの前で
「誓います」
と声を張って言った。
そうして美穂との会社生活がはじまった。
2人でたくさんポストカードを作った。
会社は最愛の美穂と一緒に楽しくやっているし、
美穂は自分の家庭で活動するのを応援してくれた。
自分は世界一の幸せ者だと思った。
12月がやってきた。
僕は1年間準備してきたクリスマスイベントの
用意に忙殺されていた。
美穂から「会社の相談をしたいので会いたい」と言われても
家庭のことで会えなくなることが増えていた。
美穂は怒っていたけど、
自分は「今が家庭で一番大切時期だということをどうしてわかってくれないんだ」
という気持ちでいた。
12月24日。
家庭のクリスマスイベントは大成功に終わった。
家庭のみんなが僕に感謝してくれた。
頑張ってよかったと思った。
家庭からの帰り道、
「最近は忙しくて美穂の相手ができなかったけど、
これから当分は家庭も楽になるので、会社に目を向けるようにしよう」
と思いながら会社へ行くと、
机の上には「退職届」と1通の手紙が置かれていた。
手紙を読んで僕は愕然とした。
僕の他に
「美穂と一緒に会社を作りたい」と思う人が現われたらしい。
とっさに
「考え直してくれ」
と今すぐ連絡をとろうとした。
しかし、
その相手は家庭に対して情熱を注ぎすぎるタイプではなく、
会社をとても大切にするタイプらしい。
僕はまた来年のクリスマスも忙しくなる。
また同じことを繰り返すだけだと思い、
美穂のことを想って退職届を受理した。
こうして僕達の会社生活は終わったのだった。
美穂と別れた後、胸の奥にぽっかり穴が空いた気分だった。
たしかにクリスマス直前は美穂とのやり取りが疎かだったけど、
それでも、自分の胸の奥らへんと美穂が見えない神経で繋がっている気がしていたんだ。
路上で絵を描く人々を見る度に
「路上ではなく、自分たちのアトリエでポストカードが作れるようにしよう」
だとか、
「自分達以外の路上クリエイターを支援できるようにしたいね」
だとかを美穂とたくさん話したことを思い出した。
そんな優しい気持ちになれた時はいつも例の神経が心地よかったんだけど、
美穂がいなくなってしまった今となっては
単なる「痛み」でしかない。
路上で絵を描く人々を見る度に胸の奥が痛んでいた。
それでも僕は家庭の業務を頑張った。
次の年も僕が主催するクリスマスイベントも大盛況だった。
部下を教育する能力も備わってきて、
クリスマス前であろうが自分がいなくても
回るようになってきた。
家庭に入って3年目。
僕は夢だったクリスマスを祝う事に特化した家庭の設立を果たすことにした。
創業メンバーを探すため、
あちこちを歩き回った。
ある人に
「お前が作る家庭の創立メンバーに相応しい人を紹介するよ」
と言われ、会うことにした。
それが
なんと
「美穂」だったのだ!
その時ばかりは運命というものを信じざるおえなかった。
美穂は違う人と仕事をするために
僕と別れたわけだが、
本当はあの時、僕に止めて欲しかったという。
その後、結局僕のことが忘れられず、
僕の家庭を助けるために
一般家庭でアルバイトしていたという。
僕と美穂は2人で家庭を作ることにした。
ベンチャー家庭なので
クリスマスを祝うだけでなく、
料理、
掃除、
洗濯、
洋服選び、
家具選び、
家計のこと、保険のこと、
なんでも僕達2人でこなした。
僕達には大家庭のように
なんでも効率的に処理するマニュアルのようなものはないけど、
そこには「愛」があった。
どんな業務も愛する美穂と一緒なら
やりがいを感じる。
どんな業務も精一杯にこなした。
愛に満ち溢れた僕の家庭は
たくさんの人を幸せにした。
やがて美穂は僕達の子供を3人産んだ。
3人の子供はそれぞれ結婚し、僕たちに孫ができた。
家庭はどんどん大きくなっていき、
やがて「クリスマスを祝うことに関しては世界一の家庭」
と呼ばれるようになった。
その後、僕と美穂は引退した。
こうして僕の長い家庭生活は幕を閉じた。
そして、今では僕たちのアトリエを作り、
休日はたくさんの人のために美穂と一緒にポストカードを作っている。
完
・糸井重里さんの「消費のクリエイティブ」という考え方
・スティーブ=ジョブズさんの「会社を作るっていうのは父親になるようなもんだよ」という言葉
・神田昌典さんの「成功者の告白」という本
・自分の起業経験と恋愛経験
・「フリープラス」という愛に溢れた会社
まだまだ伝えたいことが伝えられていない気がします。
例えば仕事も家庭も最終的には誰かを思いやる気持ちが大切という
結論に収束していくとか、そこらへんも伝わりにくいかなと。
まぁでも、とにかく、書いてよかった!
たくさん発見がありました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
ブラッシュアップして映画化目指します(笑)